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アフリカにおける英語教育の弊害

アフリカにおける英語教育の弊害

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近年、アフリカ諸国は資源やインフラ開発が活気づいていて、高い経済成長率が記録されているようです。暗黒大陸と言われていた時代と比べれば、ずいぶん景気が良いようです。しかし、経済成長はしていても、開発に繋がっているかというと疑問です。見た目には繁栄していても、国内の貧困層は取り残されており、所得格差が開くままになっているからです。こうした状況を打開する方策はなかなか思いつきません。しかし、子供に行っている英語教育を改めることが、その一歩ではないかと思います。英語教育の廃止、教育の母国語化は、昔からの私の持論なのですが、以下にその意味を説明します。 

私が滞在しているエチオピアでは、首都アジスアベバは建設ブームに沸いています。繁華街には新しいビルがどんどん建設されており、幹線道路もどんどん整備されています。中国からの援助や投資がこうした建設ブームの引き金の一つになっていると思われます。景気の良い話が多いです。良いことです。

しかし、首都の中でも繁栄しているのは一部だけで、中所得者の居住地域は何も変わっていません。東南アジアではもう見かけなくなったようなスラム地域に、多くの人々が集まって暮らしています。地方にゆくと、事情はもっと厳しいです。電気、水道といった基本的インフラが整備されていません。川から水を汲んで、家まで運ぶという、昔からの生活をしています。表現は不適切かもしれませんが、21世紀なのに弥生時代が併存しているような感じです。このままでは、5年後、10年後、国内の富裕層と貧困層の所得格差はますます拡大すると思います。

こうした格差拡大の一因となっているのが、子供への英語教育です。エチオピアでは(そして多くのアフリカ諸国でも)、小学校高学年くらいから、授業の言語が原則として英語に代わります。地域により若干の差はあるようですが、はじめの1~3年間は母国語で授業を行ない、4年目くらいからすべての授業が英語にスイッチします。英語の授業は中学校、高等学校、そして大学になっても続きます。小学生が高学年になって授業についてゆけなくなり、退学するケースが多いようですが、その理由の一つが英語力不足です。エチオピア人にとって、当たり前ですが、英語は外国語です。日常生活では使いません。いつも母国語を使います。だから、子供にとって、学校以外で英語を使う機会はありません。親もさほど英語は得意でないでしょう。だから、授業を英語で行うのはそもそも無理があるのです。高学年から授業についてゆけなくなるのはあたりまえです。(かつて仏語圏アフリカのセネガルで、教育の仕事に関わっていた同僚がいます。彼の話ですが、セネガルでも仏語力が制約となり子供が授業についてゆけなくなるのだそうです。)

私のオフィスの秘書は夜間大学で経営学を勉強しています。あるとき会計学の教材を見せてもらったことがあるのですが、すべて英語で書かれています。彼女によると、教員はエチオピア人だけれど、授業の言語は全て英語だそうです。課題も英語、宿題も英語です。彼女の英語力はお世辞にも優れているとは言えず、ちょっとした英文を書いても間違いだらけです。いったい英語の講義をどれだけ理解できるのだろうと心配してしまいます。教えるのも教わるのもエチオピア人同士なのだから、母国語で授業をしたら、よほど効果的だろうにと思います。

エチオピアは貧困国ですので、多くの子供が貧困を理由で小学校を退学します。2~3年間くらい小学校に行き、読み書きと簡単な計算ができるようになると、親が学校をやめさせるケースが多いです。この段階だと母国語の授業なので、英語に接することはなく、学習が終了します。だから貧しい家庭の子供は英語を全く理解しません。

こうした子供の中には、本当は優秀で、チャンスさえあればエンジニアや会計士といった専門家になれるような人材がきっといるはずです。しかし、こうした分野の図書は全部英語なので、英語力が無い子供にはアクセスできないです。貧困から何とか立ち上がって、18歳くらいになって、独学で知識を身に着けようと思っても、高校や大学で使われている教科書が全部英語では、どうしようもありません。貧困を抜け出して、成功するチャンスが閉ざされているのです。

日本の場合はどうでしょう。日本では大学教育まで全部日本語で学べます。私が子供のころ、戦後の混乱の中で進学をあきらめた年配者が回りにいました。こうした人でも、独学で大学レベルの知識を得て、会社を経営したり、専門職に就くことは可能でした。低学歴でも復活するチャンスが開かれていました。

近隣のアジア諸国でも同様です。ベトナムのような貧困国でも、大学まで授業はベトナム語です。貧困が理由で小学校を途中でやめざるを得なかった子供でも、大人になってから独学で専門技術を学ぶことは可能です。専門書がベトナム語で書いてあるからです。タイではタイ語、インドネシアではインドネシア語というように、母国語を使って高等教育をします(もっとも、ラオスの大学はラオス語に近いタイ語の教科書を併用しているようでした)。

アフリカ諸国が中等、高等の学校教育を英語で行っていることは、貧困層の子供から復活のチャンスを奪っています。これが国内の所得格差拡大の一因になっているはずです。国内の所得格差を是正するための方策として、まず教育の全般的な母国語を進めるべきだと思います。

エチオピアで仕事をした過去2年半で、様々な立場のエチオピア人にこれを訴えてきました。特に教育局の官僚を見かけると、執拗に持論をぶつけてみました。しかし、多くの反応は「とても無理」「英語で教育する方がメリットは大きい」といったものでした。メリットとして言われたのは、たとえば高等教育を英語で行えば、翻訳する手間がなく、リアルタイムで最先端の知識を身に着くことができます。また外国人と仕事をしたり、外国で仕事を得る機会も広がります。国際機関に就職したり、海外に出稼ぎにゆくのも、ある英語力が無いと無理です。さらに、エチオピアは複数の民族にわかれている国で、それぞれが「母国語」を持っています(多くのアフリカ諸国がそんな感じです)。だから中央政府が特定の言語を「母国語」として採用すると、民族間の不和を招きかねないです。結局、英語を使って教育する方が、丸く収まって無難ということになります。「お前の言い分もわかるが、我が国では無理無理!」と言われて、いつも議論は終わってしまいます。

しかし、これにあえて反論すると、アジア諸国の中にも複雑な民族構成を抱えた国はあります。たとえば、インドネシアは様々な民族と言語を持つ国です。戦後、インドネシアとして独立した際に、当時のスカルノ大統領が「インドネシア語」を共通語として全国に普及させました。これが今日にいたるまで使われています。教育は高等教育まで原則としてインドネシア語で行われているはずです。スカルノ大統領が自分の出身地の言葉であるジャワ語を押し付けずに、オランダ統治時代の公用語であった言語を、インドネシア語として制定したことも、普及の背景にあったと言われています。多くの民族と言語を持つ国でも、政治的なリーダーシップがあれば、共通語の普及は可能だと思います。

サハラ以南アフリカの中で、エチオピアは植民地化を受けずに、独立を貫いた国です。一応、アムハラ語という広く使われている言語があります。中高等教育から英語を排除して、母国語教育を進める国として、可能性が高いように思えます。私のエチオピアでの仕事は終わり、そろそろ国を去る時期なのですが、私の持論を誰かが受け継いで、母国語教育を進めてくれないものだろうかと、願っています。

 

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