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政府開発援助の制約

政府開発援助の制約

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政府開発援助とは

日本政府が実施する援助は政府開発援助(ODA)と呼ばれています。NGOが実施する援助とは区別しています。政府開発援助は国民の税金などを使って国際協力機構(JICA)などの政府機関が実施する援助です。政府開発援助では、援助を提供するのはドナー国の政府機関なのですが、相手国で援助を受け取るのも現地の政府機関となります。民間団体や私企業に対して日本のODAが直接に提供されることはほとんどありませんJICAの技術協力プロジェクトの実施対象は原則として政府省庁や公社等です。日本人の専門家から技術指導を受けたり研修に参加するのは、原則として政府職員に限定されます。プロジェクトによってはカウンタパートを日本に招いて視察や座学の場を提供することがありますが、これに参加するのもほとんどが政府職員のはずです。産業開発分野のプロジェクトでは、工場の生産性向上といったいかにも民間企業が受益者となりそうなものがあります。こうした場合でも、日本の技術指導の対象は政府職員です。政府職員がまず技術を身に着け、そして自国の民間セクターにその技術を伝えるというツーステップが想定されています。

持続性の確保の難しさ

ODAの技術協力プロジェクトが直接に民間人を対象とせずに、政府職員への技術移転を進めることには正当な理由があります。それは事業の持続性を重視しているからです。ODAプロジェクトの専門家が、民間の受益者に何らかの支援を提供することは直接的で効率的です。しかし、これではプロジェクトが終わってしまえば、支援もストップしてしまいます。例えば、日本の専門家の指導で2年間のプロジェクト期間中に10件の工場の生産性が向上したとします。ODAプロジェクトは比較的多額の資金を投入するものなので、それだけの効果しかないのでは、ODAとして実施した意味が問われてしまいます。一方、もしも日本人専門家が現地の政府職員に技術移転を行い、政府機関が民間企業に支援する枠組みが作られるのならば、当該政府機関が存続する限り民間への支援は未来永劫提供されることになります。これが、ODAによる技術協力の基本的なコンセプトです。

日本のODAの歴史の中で、このコンセプトが見事に実現した成功例はあります。インドネシアの母子手帳プロジェクトやケニアの中等理数科プロジェクトなどが典型例です。日本の専門家から相手国政府職員に技術やノウハウが伝えられ、当該政府職員の手で持続的に事業が実施されています。相手国政府の事業として、活動は全国に広がり、多くの受益者が生まれています。しかし、こうした成功事例がある一方、なかなか当初の計画がスムーズに進まず、事業の持続性が確保されないまま終わってしまった技術協力プロジェクトも少なくないのも事実です。特に、アフリカの貧困国になるほど、こうした状況が多いような印象があります。プロジェクトが終了後、政府職員を通じて、社会の広い範囲に効果が波及してゆくといった事例はなかなか目にしません。それはなぜでしょうか。今、私が技術プロジェクトを担当しているエチオピアなどを例にとって、その理由を考えてみました。

政府職員の離職

まず思いついた理由は、政府職員の離職率の高さです。現地の政府職員を相手に手厚い技術指導を行っても、あっという間に離職してしまいます。日本人専門家から技術を学んだ、研修を受けたということは自分の価値を高めます。これを履歴書等でアピールして、民間企業や国際NGO等にさっさと転職します。私たちのプロジェクトでも、まとまった期間の研修を実施すると、JICAの名前で受講証、修了証を発行してくれないかと必ず求められます。貧困国では政府職員の給与はとても低く、外資系企業や国際NGO等と比べると半分以下です。政府機関では、いろいろな研修機会があるので、大卒が最初に就職する場所としては適当ですが、前途ある若者にとって長く勤めるところではないと思われています。特に、生産性向上プロジェクトなどに参加して、ノウハウを身に着けた政府職員は、民間企業側からの引きも強いようです。仮に離職するにしても、やめる前に同僚や後任に対して日本から学んだ技術やノウハウを伝授してくれれば良いのですが、そんなことはまずありえないです。私たちのプロジェクトでは、地方自治体の財務局の職員を対象に研修などを実施していますが、プロジェクトを始めた二年前と比べると、研修会場に現れる職員の顔がガラっと変わっています。特に、才覚があってこちらで期待している職員ほど、すぐにいなくなってしまうので、困ってしまいます。プロジェクトの持続性を期待して、政府職員に技術移転を行っても、離職がこう頻繁だと、その前提が崩れてしまいます。

住民の政府不信

第二は住民側の政府への不信です。十数年前までエチオピアは軍事政権下の圧政が続いていました。現在は民主的政権であり、行政の透明性、住民への説明責任などを強く求められています。しかし、政府職員の住民に対するメンタリティはまだ高圧的で、公僕といった意識は低いように見えます。もちろん具体的な根拠のある話ではないのですが、エチオピアでは住民の自助努力運動があまりにも盛んなので、逆に行政への期待の低さ、不信感を物語るように見えます。ここでは、住民が自ら資金と労働力を提供して、簡易道路や小学校まで建設してしまいます。建設現場と訪れると、素人仕事といった感じで、機材もなく手作業で進めています。手間も時間もかかるようで、出来上がりもお粗末に見えます。現地の知人に「なにも自分でやらなくても、自分は農業など本業に専念して、税金を納めてから、政府にやってもらったらいいのではないか?」と聞くと、「税金なんか納めたら、政府がそれを自分たちのために使うことは期待できないから、自助努力せざるをえないのだ」との回答でした。こうした状況では、たとえODAプロジェクトで政府職員の能力を高めても、それが実際に住民へのサービス改善につながるのか、疑問に思ってしまいます。

行政の枠外の住民

第三は、特に都市部で感じるのですが、行政の網にかからない住民の存在です。田舎から都市にでてきて、かってに公有地などに住み着いてしまっている人々をスクワッター(無断居住者、不法占拠者)と呼びます。アジスアベバでは、こうした人々がどんどん増えているように見えます。不法に住み着いているのですから、行政が彼等にサービス提供することはできません。そんなことしたら、彼らの居住を公に認めてしまうことになります。アジスアベバの路上には靴磨きや物売りの少年が終日ウロウロしています。年は10歳前後に見えます。現地の知人の話では、彼らは田舎の親元を離れて都市にやってきて、グループで生活しているようです。もちろん学校には行っていません。日本のODAプロジェクトで小学校教員を対象にした技術支援を行っていますが、いくら教員の質を向上させても、こうして学校に来ない子供には何のメリットもないなぁと思ってしまいます。日本でも数年前にネットカフェ難民の存在が問題視されたことがありました。なぜ区役所等が何もできないのか批判されました。しかし、当該区役所に住民登録していなければ、区としては生活保護の対象とできないのだそうでした。日本でもアフリカでも、貧困層の底辺にいればいるほど、こうした行政の網にかからない可能性が高いです。政府を対象とするODAの盲点がここにもあるように思いました。

こうした理由で、政府開発援助を通じた技術支援プロジェクトは困難に面しています。私たちは、多額の資金を投じて、政府職員のキャリアアップのお手伝いをしているのかと思ってしまいます。じゃあ、NGOが良いのかというと、NGO側にもいろいろ悩みがあると思います。貧困国での開発支援のやり方については、なかなか良い処方がないです。

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