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世界にはなぜ豊かな国と貧しい国があるのだろう?(後編) 

世界にはなぜ豊かな国と貧しい国があるのだろう?(後編) 

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⇒前編から

今、なぜ豊かなのか、なぜ貧乏なのかということは、過去の1000年、2000年の歴史が、現在に影響しているかもしれません。ほかにも、政治の理由もあれば、経済の理由もあれば、歴史の理由もある。いろいろな理由が重なり合って、その国が豊かになったり、貧しくなったりしていることを分かってください。

「貧しい」とはどういうことか

一方、日本のような豊かな国でも、これはちょっと大変だなあ、という生活をしている人もいっぱいいます。貧しいとはどういうことなのでしょうか。どういうときに人は貧しいと思うのでしょうか。

もっとも単純に言えることは、お金が充分に無いということです。食べ物が充分に無いということです。食べ物について言えば、この程度に食べ物があれば大丈夫、これ以下になると大変なことになる、という世界的レベルがあるのです。それを一応1,800kcalくらい食べていれば大丈夫ということだそうです。

難民食事写真

ここの写真を見てください。これは難民といって、戦争や自然災害があって逃げてくる人たちです。この人たちにあげる1日の食事の量、粉と若干の野菜と調味料で1,800kcalだそうです。これよりも食べ物が少なく1,600kcalから1,000kcalくらいしかとれない人を貧しいと、食べ物で決めるという考え方もあります。

また、世界でどこの国が貧乏かとか、ある国の中でどれくらいの人が貧しいかということを考えるときに、人々が使えるお金の額が一番分かりやすいです。前にお話ししましたが、アメリカの1ドルを毎日手に入れられるかということで、貧しい国の中での貧しい人たちが何人いるかを知ることができます。

縄文時代

皆さんこの絵を見てください。これは、日本の社会の教科書に載っていた縄文時代の生活です。獣(けもの)を捕ったり、木の実を食べたり、日本人も大昔はこういう生活をしていたんですね。でも、こういうときを貧しいって言うかなあ。食べ物も1,800kcalなんて食べていないかもしれないし、お金もなかったし、生活に物が溢(あふ)れているということもなかったでしょう。でも、こういう社会を貧しいとはあまり言わないですよね。みんながみんな、マンモスを追いかけていたような時代を貧しいとは言わないですよね。

ですから、貧しいというのは食べ物が足りない、お金が無い、物が買えないということばかりでもないんじゃないでしょうか。いったい貧しいというのはどういうことなんでしょう。

私が思ったのは、周りと比べて自分がどうだろうということ、これが貧しいということを説明できるんじゃないでしょうか。食べ物が充分無くても、みんながみんな同じ生活をしているときには、誰も貧しいなんて思っていなかったんじゃないかな。誰かが、すごくたくさんお金を持っていたり、食べ物をいっぱい持っていて、自分はそれを持っていないと思ったときに、人は貧しいと初めて思うのではないでしょうか。

だから、世界で貧しい国とか貧しい人といったときに、その人たちがどれだけお金を持っているかとか、どれだけ食べているかということも基準(きじゅん)として大切なんだろうけれども、やはり、どれだけ差があるかということが、もう一つ考えなくてはいけないポイントだと思います。

ブラジルJPG

これは、南アメリカのブラジルの写真なんですが、後ろに見えるのは高層マンションです。その中にスラムといってボロい家が密集している。国全体が貧しいとは限らなくて、国によってはすごく豊かな人は極端(きょくたん)に良い生活をしている。ものすごく素晴らしい家に住んでいる人もいっぱいいます。そういった周りで、貧しい生活をしている人たちがたくさんいるのです。

このように、豊かな人と貧しい人が一緒の場所に住んでいるようなときに、貧しい人たちは、自分たちは本当に厳しく貧しいと感じるのではないかと思うのです。そういうことからすれば、日本国内だって、自分は貧しいなと思っている人はいるでしょう。他の人と比べたときに、人は貧しいということを意識するのだと思います。

貧しい国をなくすには

なぜ、貧しいか豊かなのかを考えると同時に、この比較が人の貧しさに対する意識に影響するものだということを考えました。とは言え、世界で苦しんでいる人はいっぱいいるわけです。最初にお話ししたように、子どもたちが学校へ行けない、病気になって死んじゃう、赤ちゃんもなかなか助けることができないというように、貧しい国は難しい問題をたくさん抱えています。それをどうやって無くせばよいでしょうか。

世界では、何億人もの人が、その日の生活にも困るような状況です。非常に大きな問題です。私たちはそれをどう考えていくか。大きく分けると二つ考えがあります。たとえば、魚をあげることと、魚の釣り方を教えるということです。貧しい人たちを助けるために、魚を直接食べ物としてあげるのです。お腹がすいているでしょう、食べてくださいってあげるのです。それが一つの考え方です。

もう一つは、魚の釣り方を教えることです。貧しい人たちが自分自身で食べ物やお金を得られるような方法を教える。魚はこうやって釣るんですよ、こうやったらお金が稼(かせ)げるんですよ、ということを教えることです。この二つがあります。みなさんはどちらがいいと思いますか?

実は、両方必要なのです。魚をあげることもいいのですよ。魚をあげなければならないこともいっぱいある。それは例えば自然災害の時の支援です。津波とか地震とかを受けて家がなくなってしまった人や、あるいは戦争から命からがら逃げてきた人にとって、魚の釣り方を教えているわけにはいきません。明日食べる物が無い、病気で困っている、怪我(けが)をしている、そういう人たちは、すぐ助けなくてはなりません。すぐにミルクや小麦や米や、とにかく食べ物をあげるのが一番良いのです。

また、こういう助け方は、一度に多くの人を相手にすることができます。魚の釣り方を教える数は、せいぜい10人くらいでしょう。多くの人を助けることができるという意味では、食べ物を直接あげる方がよほど良いのです。

ただ、必ず直面する問題は、それをいつまでやるのかということです。貧しい人の側も、ここに並んでいれば食べ物がもらえる、お金が配られるということだと、自分で仕事を見つけよう、何とか生活をやり直そうと考えにくくなってしまうのです。助けてもらうことに慣(な)れてしまうと、だんだんその人たちをダメにしちゃうこともあるのです。そういう問題があるのです。

ですから、食べ物を直接あげるというのは、緊急(きんきゅう)に困っている大量の人の場合で、これをいつ終わらせるかという悩みは必ず出てくるのです。ですから、ずっと助けてばかりでなくて、生活の自立を促(うなが)すことが必要なんです。今度は、たとえば魚の釣り方を教えるわけです。その人がこれから生きていく上でも大切なサポートになるのです。

でも、これにも問題はあります。釣り方を教えられても、みんながみんな魚を釣れるようになるわけではないのです。もともと病気で体が壊(こわ)れているとか、基本的な教育を受けていない人だっているんです。大きな病気にかかっていたり、普通には歩くことができなかったり。

また、仕事によっては、勉強が必要だったり、また釣り方を教わったとしても釣竿(つりざお)を買うお金が無かったりします。つまり仕事の技術を教えても、それを生かすための道具を買うことができないわけです。また、魚釣りの権利のようなライセンスが得られない場合もあります。それからもっと単純に、川へ行くまでのお金がない人だっているんです。

食べ物をあげるだけじゃなくて、食べ物を得る方法を教えることも必要です。両方とも大切なんです。私たちは貧しい国へ行って、いろいろ仕事をしますが、どちらも必要だけれど、どちらも問題があるとよく感じるのです。

貧しい人を助けるのは大変

世界には、山ほど貧しい人がいます。豊かな国というのは15%から16%なので、80%以上は貧乏な国の人々なんですね。その中でも8億くらいの人は1日100円の生活もできないのです。8億人というのは日本の人口の8倍ですよ。これだけの人を助けるというのは、本当に大変なことなんですよ。

日本は非常に豊かな国で、世界から尊敬されていて、いろいろ援助をしています。みなさんの税金で政府が援助活動をやっています。海外の貧しい国を助けるための活動をやっています。それは私の仕事でもあります。

そのお金は1年間で7000億円。めちゃくちゃいっぱい使っているように見えますけれども、たとえば、埼玉県の予算は1年間で、この倍くらいあるんですね。つまり埼玉県が1年間で使うお金の半分くらいを、世界に使っているということです。それだけで、8億人もいる明日の生活もできないような人を助けるというのは、本当に砂漠に水を撒(ま)いているようなことしかしてないのです。

国や人に上下はありません

最後に、みなさんにぜひ伝えたいことがあります。豊かな国とはどういう国か、貧しい国はなぜ貧しいかということに興味を持ってもらえたら、それはとてもうれしいのだけれど、もう一つ、ちょっと別の話なんです。

世界の国々の豊かさについてランキングがあります。2010年の1位はヨーロッパのノルウェーです。アメリカは9位。日本は14位。韓国が33位。ロシアが53位。ブラジルが58位。タイが97位。中国が結構低くて98位です。

こういうふうに、1位、2位、3位とならべると、学校の成績順みたいじゃないですか。誰が1番頭が良いかとか、誰が1等賞だとか、誰が一番足が速いかとか、順番にしちゃうと、上の方が優れているように思いませんか? 日本は韓国に比べると順位は上ですよね。日本は14位で、韓国は33位。何か上にいる方が、ちょっと偉いというふうに感じちゃうんですよね。

けれども、今日のお話のようにいろいろなきっかけで、国というのは貧しくなってしまいます。これは決してその国に住んでいる人の責任ともいえないのですよ。自然災害に見舞われるということもあるし、戦争しているということもある。他にもいろいろな理由で貧しくなってしまう。今、貧しい国に住んでいる人だからといって、頭が悪いとか、怠(なま)け者だとかいうのではなく、本当にやむを得なくそういう状況になってしまったということが、たくさんあるんですよ。

私のような仕事をしていて、いろいろな貧しい国へ行くと、人々が、「日本人は素晴らしい。みんな良く働くし、尊敬しています」と、ほめてくれるんです。でも、彼らが豊かな国の人より劣っているわけではないのです。とても優秀な人がいっぱいいます。ただ、学校へ行かせてもらえない人もたくさんいます。豊かな国の人が貧しい国の人より成績が良いとか、頭が良いとか、優れていると考えるのはおかしいことですね。

国をランキングで決めてしまうと、日本は上の方にいるし、お金もいっぱい使える。ランキングが下の国の人は、貧乏そうだし、着ている服も安っぽいし、住んでいる家もボロだし、何となく下に見てしまうことがある。これは本当にはずかしいことです。大きな間違いですね。

ですから、みなさん、将来仕事をするようになったら、貧しい国へ行くこともあると思うのですよ。あるいは、貧しい国の人がやって来て、同じ学校で勉強するとか、同じ職場で働くとか、同じ街に住むとか、そういうことがあると思うのです。けれど、決して軽蔑(けいべつ)しないでほしい。彼らが貧乏の国の人だからといって、自分より低い者だと思うのは、絶対に間違いだということを覚えていてください。

みなさん、家に帰ったらおうちの人に1万円札を見せてもらってください。1万円札の裏を見ると、福沢諭吉が描かれています。福沢諭吉は明治時代の学者で、慶應義塾大学をつくった人でもありますね。「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という立派な言葉を残した人なんです。実はこの時代には、人のランキングがあったんです。偉い人と、中間の人と、下の人という区別をした考えを持っていたのです。

でも、福沢諭吉は、「これはおかしい、人に上も下もあるものか。人の生まれ育ちとか、どこの出身だとかを考えるのは誤りである」と言いました。そして、日本国民はそれに感動したんです。

そこで、私はこれを「天は国の上に国を造らず、国の下に国を造らず」というふうに言い換えました。国は決して上とか下ということはないのです。豊かな国、貧しい国とすると1、2、3と序列が付いてしまう。その国のどちらが上とか下ではなくて全部同じだということです。先ほど言いましたように、貧しいからといって軽蔑することでもないし、自分が豊かな国にいるからといって偉ぶることもない。今日は、そういったことを覚えていてもらえればとても嬉しいです。

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