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戦後の開発アプローチの移り変わり

戦後の開発アプローチの移り変わり

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世界が先進国、開発途上国と二分され、前者から後者への開発援助が開始されたのは、第二次世界大戦以降になってのことです。もちろん戦前であっても、豊かな国から貧困国へ開発投資や技術支援が実施されていました。しかしこうし関係は、豊かな国の政府による貧困国の植民地経営といった脈絡でとらえられていました。豊かな国から貧困国への介入が開発援助として把握されたのは、やはり第二次大戦が終わってからことです。戦後スタートした開発援助は今日まで様々な変遷をとってきました。アプローチの移り変わりについて、年代別に整理してみました。

1950年代開発戦略:投資資金の注入

戦争で荒廃したヨーロッパを建てなおすために、米国主導でマーシャル・プランが実施されたことは、世界史の授業などで学んだことと思います。米国から潤沢な資金がヨーロッパに投入され、破壊されたインフラの修復や、産業基盤の整備などが進められました。

ヨーロッパの復興がひと段落ついた後、今度は同じく戦争被害を受けたアジア、アフリカ諸国の復興が課題になります。ワシントンに国際復興開発銀行(世界銀行)が設立され、「開発途上国」への支援が開始されます。マーシャル・プランの成功を背景に、途上国への支援も、資金の投下により産業基盤を整備することが目指されました。貧困国が貧困状態から抜け出すことができない最大の要因は資金不足であると見なされ、これを補うために多額の資金が投下されたのです。途上国でも資金不足が克服されれば、経済成長が達成されると期待されました。一つの部門でも生産が拡大すれば、その効果は国全体に浸透し、経済全体の成長につがなると考えられていました。これをトリックル・ダウン効果と言います。当時の開発援助は道路、港湾、空港、発電所といった経済インフラの整備を中心としたプロジェクト・ローンが中心でした。

1960-70年代の開発戦略:輸入代替工業化

多額の資金投下を行って経済インフラを整備しても、なかなか経済の成長にはつながりませんでした。途上国の貧困は単に資金が不足していることが理由では無いのではないかと考えられました。そして中南米のエコノミストから、植民地時代につくられた経済構造が低開発の原因ではないかと主張されるようになります。

植民地時代には、もっぱら欧米諸国が工業製品を生産していました。そのかわり、アジア、アフリカ、中南米諸国は、欧米諸国に農産物や鉱産物などの原材料を供給し、欧米の工業製品を購入する役割を担っていました。技術開発などにより工業製品はどんどん価値が高まるのに対して、農産物や鉱産物はなかなか付加価値を高めることができません(テレビは3Dになったりしますが、バナナはいつまでたってもバナナ)。また、植民地時代に少数の産物の生産に特化させられていた国が多いため、当該産物の価格変動の影響も大きく受けてしまいます。「このまま農産物や鉱産物の生産ばかりしていては豊かな国になれない、無理をしてでも工業化を実現しなければならない」と考えられるようになります。

しかしながら、途上国には工業化を担えるような技術や資金を持つ民間企業家が育っていません。そこで、政府が主導して、国営企業などによって工業化が進められることになりました。生産したのは自動車とか電気製品などの耐久消費財です。それまで欧米から輸入されていた製品を、国産品に代替しようという戦略です。これを輸入代替工業化戦略と言います。スタートしたばかりの国営企業がいきなり良品質の製品を安価に生産することはできません。だから国産品を売るために、高関税や輸入規制、為替レートを操作することなどの手段で輸入品が市場に入ってくるのを阻害する必要がありました。

この輸入代替工業化を資金面でサポートしたのが、中東諸国からのオイルマネーでした。1960年代までは石油は欧米の多国籍企業が生産や流通を管理していました。しかし、自国天然資源は自国が管理すべきという「資源ナショナリズム」の考えが1970年代に入って高まります。中東諸国は石油の管理を多国籍企業の手から奪い取り、生産者国同士で集まって価格を設定することになります。結果的に石油価格は高騰し、多額の販売代金(オイルマネー)が中東諸国に集まります。石油価格の値上げで先進国経済は低迷し(オイルショック)、産業の資金ニーズは低迷します。そこで、多額のオイルマネーが途上国の輸入代替工業化に投入されてゆくことになったのです。

こうして実現した輸入代替工業化は成功しませんでした。関税などで保護しても、なかなか国内の工業が競争力をつけることにはなりませんでした。生産に必要な部品や工作機械などの輸入は増え続ける一方、本来競争力があるはずの農産物の輸出は低迷します。貿易赤字がつづき、10年もすると多くの国が膨大な貿易赤字を抱え込むことになります。1982年にはメキシコ経済が破たんし、それをきっかけに輸入代替工業化戦略が見直されることになります。

1980-90年代の開発戦略:構造調整

輸入代替工業化が失敗した理由は、政府が市場経済の原理を無視して経済に無理に介入したことにあると考えられました。政府の役割を抑え、市場原理に則った経済運営をすべきということになりました。当時、こうした考え方は市場経済万能主義と呼ばれました。政府が介入していた経済構造を「調整」することが必要となります。そしてそのための技術面、資金面での支援が、開発途上国に実施されました。外国製品への高関税は撤回され、為替レート操作も否定されます。国営企業は解体、民営化されます。「小さな政府」が提唱され、肥大化した財政支出が全般的に見直されました。これを構造調整政策と呼びます。

構造調整政策を採用して何が起こったかは、だいたい想像がつくと思います。2007年に財政破たんした北海道夕張市と同じようなことが、各地の途上国でおこりました。「小さな政府」を目指したことで、保健医療や教育分野での政府支出も減らされました。行政によるサポートが必要なはずの貧困層に対しても、十分な支援が届かなくなりました。貧困層の生活がますます窮乏化することになります。しばらくして、構造調整政策は行き過ぎではなかったのかと反省され、「人間の顔をした構造調整」が目指されるべきと主張されるようになります。

また、輸入代替工業化時代の貿易赤字によってつみあがった累積債務もなかなか減少しません。市場経済万能主義にしたがっても、累積債務問題は解決しません。債務の返済により、財政支出がますます押さえつけられることになります。

2000年代以降の開発戦略:債務削減と貧困削減

構造調整政策で行き詰った状況を打破するためには、多額の累積債務問題をまず解決することが必要と考えられました。ちょうど西暦2000年を迎えるにあたり、途上国の累積債務を免除する「徳政令」を出すべきであるという運動が欧米諸国で高まりました。これを受けて、1990年代末から重債務貧困国の債務が大幅に削減されることになります。債務削減にあたっては、これにより発生した資金を貧困削減のために使うことを、各国が約束させられました。もともと返済に充てられるはずだった資金で、軍備増強などをされたら、債務削減の意味がありません。返済分の資金を貧困削減にどう使うのかなどについて、政府の方針を明示した政策文書(債務削減戦略文書)の作成が、債務削減の条件の一つとして求められました。

また、これと同時に、途上国での貧困削減が世界的な課題として認識されることになります。2000年に国連ミレニアム宣言が採択され、国連加盟国は「ミレニアム開発目標」の達成に責任を負うこととなりました。この開発目標は8つのゴールがありますが、全て直接、間接的に貧困削減を目的とするものです。例えば、2015年までに貧困層(一日一ドル以下で生活する人々)を半減させること、飢餓に苦しむ人口を半減させること、などの具体的目標が提示されました。2015年まで残すところわずかですが、現在はこの目標の達成に向けて、各国政府や国際機関が努力を続けているところです。

さらに、先進国や国際機関といったドナー側がバラバラに援助を行っていては、開発目標の達成がなかなか進みません。ドナーがそれぞれの援助活動を調整して、効率的に目標を達成させることも重要と受け止められるようになりました。

また、途上国政府側の能力構築も重視されています。そもそも途上国政府の財政資金は限られています。深刻な貧困問題に立ち向かうためには、効率的に資金を使って、効果的に事業を実施する必要があります。そのための、資金管理や事業実施能力を強化する必要性も強く認識されるようになっています。

 

以上、第二次世界大戦から今日までの、開発アプローチの変遷をまとめてみました。時代によって開発援助の手法も移り変わってきたことがわかると思います。今後も、先進国側、途上国側の状況に応じて、試行錯誤が続いてゆくものと思われます。

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